メンタルとうふ子ちゃんの日常

メンタル疾患持ちのとうふ子ちゃんの成長日記

私は与えられたものの中から選んできた人生だったから

私の人生で与えられなかったものってあったのか

私の人生は幸いにも、たぶん普通水準より恵まれていたと思います。 両親とも公務員でお金に困る事はありませんでしたし、やりたいことはだいたいしてきたと思います。 精神疾患になってからも、両親もなにか問い詰めたりするようなことはなく(私は無関心だと思っていましたが)、 まぁお金も潤沢にあったのでなんとかやってきたというような感じです。

私の人生には、たくさんの用意されたものがありました。 両親はそんなことを考えていたわけではないといいますが、 私にはこの、両親の選んできた用意してあるものの中から、 自分の人生の分岐点を決定してきていました。

幼稚園生がお花屋さんになりたい、といったそんな夢もありました(本当になりたかったもの伏せます)が、 両親の希望にそぐわない夢らしい、と小学生で感じた夢はその後それを言うことをやめました。

中学生にあがり、中高一貫だったため、文理の選択が中3を目前にありました。 私はその直前にホームステイを経験していて、その中である夢が生まれたのですが、 それも両親の希望にそぐわない、という理由で止めて、 諦めがつくように文系を選びました(文系科目のほうが得意だったというのもある)。

中高一貫校に通っていた私ですが、人間関係に疲れはて、高校を変えることにしまた。 これについては両親から反対がでなかったのが不思議です。 そして、地元の公立の進学校に進学しました。その頃も、中学生のときに抱いた夢を捨てきれず、 進路の話があるたびにそれとなく相談するのですが、うちの両親は「大学に行くこと」が大事だったようで、 結局スルーされて終わりました。 そのあと、保健室登校になって、病院にも通いだすのですが、まぁそれは別の話なので。

私は、両親が選んできた選択肢から何かを選んできていたように感じます。 これは自分の責任ですし、誰かに文句を言えるわけでもない話ですが、 私にとっては両親がすべてで、逆らえない存在でした。 そして、自分の話は聞いてもらえないものなんだなと、認識していました。 たぶん、これを言うとうちの両親は驚いてそんなことない、と絶対言うと思うのですが、 受け取った方がすべてだと私は思っています。

私の人生に与えられなかったものって、たぶん、まっさらな、あるいは第3の選択肢、みたいなものだったと思います。

精神疾患になって、周りの目が、とか親に負担が、とかで仕事をしたい一心でした。 でも、それだとなにも効果はなくて、逆に自分がもっとつらくなっていきました。 そこで、幸いだったのは理解してもらえたことですが、半年間なにもしない期間を作りました。 前の年に公務員試験を受けた後、なんで公務員試験なんて受けてんのやろ?と思い、 何もかもがばからしくなって、親のために働かんでもいいやん、と唐突に思いました。 それで、半年はなにもしない。ごろごろする。と宣言して、実際に半年間何も考えず頭からっぽで過ごしました。 ちょっと前に出会っていたアニメ作品の新章がはじまり、それで元気を付けれていったのも幸いでした。 今は結構元気にやっています。

じゃあ、今現在、私は何を選択しているのか

私は、英語を世界をつなぐツールだと考えています。そして、日本が好きです。 大学で学んだプログラミングも好きっちゃ好きですが、日本が本当に好きです。 そこで通訳者か翻訳家になれるように、英語の勉強をしています。 これは、いろいろ頭からっぽの期間に私が考えた、私がしたい事です。 両親から何か提案されたわけでもない、私だけの大切なアイディアで大切に育てていきたい夢があります。 いつかここでそれがお話しできるといいのですが、今は完成していないので秘密です。

あと一個選択したこと

バイトを始めることにしました。 接客なので精神やられそうで不安ですが、大好きな本屋さん。頑張りたいと思います。